2010年03月02日

第5回目


第5回目

6.【再度、文体について】

ここで、
僕自身の文章に対する歴史を
振り返ってみたいと思う。

今回、あまりにも、
個人的なことばっかりで、
なんなんですが…

僕は、
とにかく、
小さい頃から、
文章だけは達者な子どもだった。

その、
そもそものスタートとなったのは、
小学2年生の時の作文大会がきっかけだった。

通っていた学校が催していた
作文大会に入選し、
お昼の校内放送で読まれたのは、

子どもながらに、
とっても嬉しい経験で、

しかも、その作文は、
県からも表彰されることになった。

“手品と魔術”について書いた作文だった。(笑)
(この頃から、趣味が変わってないという…)

この経験で、
めっきり自信を植え付けられた僕は、
毎年、この作文大会入賞の常連になっただけでなく、

読書感想文とか、
なんかの課題とか、

ことあるごとに書く作文が、
とにかく何かの賞を受けるような状態だった。

この勢いは、
中学の間も続いた。

しかし、
世の中うまくいかないもので、

高校に入ってからは、
めっきり書くことがダメになってしまった。

僕は、
憧れの中原中也も通った
県下では名の知れた進学校にすすんだが、

これが、
とにかく挫折の連続だった。

思春期の特有の
悩みとか、繊細さとか、弱っちさとかも、
あるんだろうけど、

とにかく、
頭の中が、ピンと張り詰めた感じで、
まったく文章を紡げなくなった。

僕は、中原中也が大好きだったから、
毎晩、毎晩、彼の墓に通っていた。

夜の墓場に通うような不気味なことしてたら、
中世だと絶対、魔女裁判で、火炙りの刑にされてるよ
って、友人からは言われた…(笑)

実は、中原中也もこの学校を
途中で挫折して、
ドロップアウトしてしまってるので、
おこがましくも、
僕は、中也と自分を重ねあわせて思ったりもしていた。

この3年間って、
ブランクは、
けっこうキツかった…

っていうのも、
受けたい大学の入試で必須だった
小論文にも、
この傷がとっても響いたからだ。

全然だめだめの、
誰かの言葉の寄せ集めの文にしかなってない…
と、書くたびに焦った…

しかも、
中途半端に、
「自分の文章」にこだわったりしてて、

文章の体もなさないような、
支離滅裂(あっ、これは今も同じか…)
で、なんにも言いたいことが、
わからないような文になって、

もう、自分でも、
悪循環をどのように断ち切ればいいのか、

悩んで、悩んで、
どうしたらいいのか、
わからなくなっていた。

これを立ち直らせてくれたのは、

ある先生との出会いだったと、
いまでも感謝している。

僕は、
論文だけ、
駿台予備校の

「芸大・美大芸術系論文」
っていう単科授業を受けていて、

指導してくださった、
内海信彦と言う人は、
自身もアーティストだったのだけど、
http://www.fides.dti.ne.jp/~n-utsumi/

自らの授業を「極道系論文」と呼ぶ、
その授業は、
とっても刺激に溢れていた。

自分があんまりにも、
芸術や、社会や、世界について、
無知過ぎて、
毎回、授業は、胃が痛むほど怖かったけど、

いやぁ〜、
ここで、しがみついていかないと、
もう自分はだめや…
って思って、

毎回、一番前の席で、
講義を受けた。

で、

駿台予備校のこの論文の全国模試があったんだけど、

この「芸大・美大芸術系」は、
もちろん、
芸大や美大を目指す受験生も受けるんだけど、

東大の文3とか、
一部の国立大とかで、

論文で「芸術」について記述させるような試験を課す
大学を受ける人たちも
この模試を受ける。

僕は、
今でもこの答案を大切に保管してるんだけど、

この時の文章では、

作品を観る時に、僕は、
質感にとっても注目してしまっていること、

そして、それは、
よくよく考えてみれば、

小さい頃から、
僕は、石の魅力にとりつかれていて、
石をにぎったり、まじまじと見つめたりした経験に、
起因しているのではないかということ、

そして、
石こそが、
人間の文化と文明をつくるきっかけを
与えたのではないかということ、

その人間の文化と文明を産み出した、
無機物の石に、
宇宙のミニアチュールを見出すことができること、

そして、無機物の作品に宿る生命感、

などについて記述した。

しっちゃか、めっちゃか、で、
例によって、
「常体」、「敬体」入り乱れ、
あっちこっちに話しが飛ぶ、
文章だったけど、

とにかく、
自分の体験、自分の実感に、
忠実に、そして誠実に、
書くことに努めた。

そのことばっかりに、
誠実になりすぎたから、

とても、
規定の枚数では収まりきらなくなっちゃって、

試験用の原稿用紙を追加でもらって、
大幅に字数制限をオーバーして提出してしまった。

本来、なら、これは、
明らかにルール違反。

試験としては、これは失格である。

けど、僕は、
自分のなかの何かを回復させるために、
魂を込めて、
この模試にぶつけた。

結果は、どうでもいいと思った。

そしたら、

この試験の結果が、
僕は、全国でトップになった。

本来なら、
字数オーバーは明らかに、
失格だろう。

評価の欄には、
A+、A+、A+、Aなどとならび、

今回は、字数超過にはふれないこととするが、
試験本番では守るようにと書かれていた。

字数のことよりも、
中身に、何かを見出してくれて、
そこをきちんと評価してくれるなんて、

さすが、天下の駿台は、
並みの予備校とはレベルが違うと思った。

わぁ〜、
文章だけやったら、
東大とか、芸大受ける連中よりも、
上やんかぁ〜
っていい気になった…

もちろん、偏差値は全然かなわないし、
そもそもセンターがいる国立は、
理系が壊滅的にできない僕には、
どうころんでも、無理なんだけどね…

けど、これは僕にとって、
まぎれもなく、
小学2年生の時の、
経験以来の、
自信をもたらしてくれた
出来事だった。

内海先生には、
まったくご無沙汰してしまっている。

僕が、なんか「カタチ」になれば、
何者かになれれば、
と思っていたら、
ずっとお会いする機会を失してしまった。

けど、
ミクシィなんかで今の生徒さんから伝え聞く、
お元気なご様子を知れて、
少しほっとしている。


聞くところによると、
欧米では、

例えば、
かなり名の知れた大学の
文学部の教授であったとしても、

掛け算や、算数すらろくにできない
ようなひとも、
いくらでも見受けられるという。

けれども、
専門の文学なら文学に、
とことん深遠まで、
研究していたり、

情熱を持っていたり、

そういうことで、
その職務を与えられている。

日本も、
そうなってくれないかなぁ…

だって、
受験に必要なのは、
どの教科も基礎学力だといっても、

とっても
偏った人間って、
いるんですよ…


大学教授になるのには、
小・中・高みたいな教職課程とる必要も、
資格も学歴もいらないけど、

僕もいつか、
お呼びがかかるようになればいいな…
って、
密かに思ってるんだよね。

実績ないのにね…
バカだね…

読んでくださってる、
大学関係者いないかな…(笑)

今みたいな、
不安定な自由業は、

いつか、
かわいいお嫁さんが来てくれることになっても、
不安だろうから、

大学って職場に通ってたら、
お嫁さんも、
安心してくれるだろうから…

なんて、

とにかく、
アホな、
夢想ばっかりの
記述になっちゃたよ…

ごめんなさい、ね…

posted by チェン・スウリー at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | コラムみたいな



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